早朝の公園でのウォーキングの危険性
早朝にウォーキングする生活に憧れて、ここ2週間ほどやったりやらなかったりしていた。
理想は朝5時に起きて~だが、起きれなかったとしても、「そんな完璧主義じゃ生きるには息苦しいぜ」と私の中にいる「私の気を楽にしてくれる陽キャ」が教えてくれるので6時に起きても公園に行って歩いていた。
朝5時の公園と6時半近くの公園の違い
朝5時頃の公園は老人がちらほらいる位。
各個人が自分の目標に向かって黙々と励んでいる模様。アスリート感すらある。かっこいい。
朝6時の公園は6時半に近づくにつれて加速度的に老人が増える。しかも陽キャの老人だ。だからすごくあいさつされるのだ。私はウォーキング中は「ひろゆき」を聞いているため、あいさつされても反応が遅れる。
水溜まりはないか、うんこはないか、滑るところはないか、誰かの進行を妨げていないかということと「ひろゆき」を聞くことでいっぱいいっぱいなのだ。あいさつをしてくる可能性のある老人にまで意識を回せない!老人に意識を回すと「ひろゆき」がおろそかになる。みんなの相談にどう回答するのか聞きたいのだ。遅ればせながらもあいさつを返す。
「ひろゆき」に意識を戻すと「え、これなんの相談?」ってなる。でも、あいさつを無視するという非道なことはしたくない!
…結果、
朝6時の公園でのウォーキングに”快”なし!!
となり、「どうせ6時半になるとラジオ体操始まるし」って思って帰った。
朝の6時半に目覚めたある日、「あ、ラジオ体操中か、ちっ」と思ったけど、「待てよ、ラジオ体操は第一は3分ほど、第二をやったとしても6分ほど、余裕みて10分だったとしても、今から準備して公園に行ったら終わってるはず!!」
6時40分は過ぎてたと思うが公園に到着。
…まだやってるやん嘘!あ、でも深呼吸してるからもうすぐ終わる!というよみで公園外からみんなの深呼吸を見守る。
あれ、人多すぎない?公園のトラックをぐるっと取り巻くように、子供からお年寄りまでびっちり居る。朝の公園がこんなことになっているなんて知らなかった…とか考えていたら、新たな第?体操が始まってしまった!
「ラジオ体操いくつあんねん!」生まれも育ちも関西。間髪入れずに脳内でつっこんだ。よし。
えー、待つの嫌やし、でも歩いてる人、1人もおらんから恥ずかしいし、どうしよ…
そこに「どうしてみんなが私のことを見ると思うんだい?いや、そりゃ見るかもしれないけど、別に悪いことはしていないんだし、気にする必要なくない?みんなは自分の目的を遂行しているんだから、私も目的遂行していいんだよ」と私の中の「他人の目を気にしなくて良いんだよ」派からのアドバイスがあった。
どうなるかわからないけど、とりあえず死ぬことはなさそうだし、いっちょやってみるかと公園内のトラックをいつも通り歩いてみる。ひろゆきを聞きながら。
歩いている最中「こいつなんなん?みんなと同じようにラジオ体操したらいいやん」って思われてるんかな~?という思いと、「別に気にせんでいい!」という思いが混在して、結局ひろゆきはおざなりになった。
6時半の公園はあいさつされることはないけど、自分の中の心の声がうるさすぎて、結局”快”は生まれない
ということがわかった。
それから朝の公園には行っていない。