自分はせっかちだと思っていたけどそうじゃなかった。
私は素早い。
歩くのも速い。
身体が小さいので人と人の間もするりと抜けてずんずん進んで行ってしまうタイプ(もちろん誰にもぶつかったりしないし、他人の進行の邪魔をしないように細心の注意を払っている)。
私はねずみのようにすばしっこいタイプで、そう生活することが自分に合っていると思っていた。何をするにも1分1秒を争うように早く済ませてしまうことが良いという価値観で生きてきたように思う。そう、自分はせっかちだと思ってこれまで生きてきた。
だから何らかの理由でそうできない時(急ぐ必要のない場合でも)、「早くしなきゃいけないのにできない~!」と焦ってちょっと震えたり視野狭窄になって誤った判断をしてしまうことがあった。しかも間違っていると気づいているのにそのまま進めてしまったり…
でも最近はなんでもゆっくりと着実に進めていくことが心地よいと感じる。
ゆっくり歩いて、ゆっくりドアを開け、ゆっくり閉める。
人がたくさんいるところをすり抜けるのではなく、周りに合わせてゆっくり移動する。
自分に「ゆっくりでいいよ~」って声掛けしてあげるようにしている。
なんでこんなに「1秒でも早いほうが正義」な価値観で生きてきてたんだろう?と考えた時に浮かんだのが父。
父は職人気質な人で、なんでも段取りよくさっさと行動する。家族で出かける時は、前日に「明日は9時集合、出発」と言い残して部屋に去っていく。
そして翌日は8時50分頃から車のエンジンをかけて中で待つ。
まだ時間前なのに「さっさとせぇ(早くしろ)!」と怒り出す。
心に余裕のある時は「お~い!行くぞ~!」だ。
いや、良い人なんですよ?でも極度のせっかちなのだ。
街を歩く時も速い。家族を置いて1人で先に行ってしまう。
私たちは「お父さんもうあんなとこ行ってるわ~」とかなんとか言いながら歩いていて、そのうち父が「はよ来い!」といって怒り出して、母が「お父さん歩くの速い!先々一人で行って!」ってこっちも怒り出す。
そうならないように、できるだけ父のスピードに合わせて歩いてきたからこうなってしまったのかもしれない。
友達4人と街歩きする時など、たいてい前を歩いている自分がいて、私が父の役をやっていたりすることがあった。「早く~!」とも思ってた。
せっかちの片鱗はそこかしこにあって、ポットにお水を汲むときにも蛇口全開にしてすごい勢いで水汲んでその上「早く~!」って思ってたり…いちいち「早くしないとダメ」「早くできないとイライラする」とかすごい感情の無駄遣いしてたなぁと思う。
でも、気づけたから、これからはいろいろゆっくりやっていくぞ。
素早く速く歩くこともできるけど、ゆっくり歩くことの心地よさを今は楽しみたい。
理由のない焦る気持ちにも1つずつ気づいていって、うまく対処できるようになっていきたい。