さてとのブログ

指差し確認しながら毎日を過ごすアラフォー。2年半の無職を経て、未経験業種に再就職を果たす。ほかほかの新入社員。

「そんな言い方ある?」と怒りを感じる自分と弱っていく自分。そしてそれを見ている自分。

何度も転んで、何度も起きて、人生「七転び八起き」とはうまいこというものだなぁとひしひしと感じる。

 

働くのを再開して、人とのぶつかりも再び感じ始める日々…。

 

「あぁ…そうだった。私は他人の言葉に縛られやすい人間だった」ということを思い出す。

「そんな言い方ありますか?」上司に憤る日々。

 

「どうしてわざわざそんな言葉を選択してこちらにぶつけてくるのだろう?」

「そこまでして私を傷つけたい理由は何なのだろう?」

「仕事ってそんなに大事なこと?誰かの尊厳を傷つけてまでやり抜かなきゃいけないこと?(そんな私の考えが見透かされていて正そうとされているのか?)」

 

理解に苦しむ日々。

上司が休みの日や傷つかなかった日、終業後「今日は大丈夫だった。良かった」と思いながら帰宅する。そんなことを考えている自分は「何だかおかしいぞ」という気持ちもある。

 

言い方はどうあれ、注意されたことについては「二度と、二度と注意されないように」と懸命に対策を考えて実行している。あとは、傷つけられないよう、近寄らないようにしている。気を許して少し近寄ったら傷つけられたことがこれまで何度もあったからだ。被害者も加害者も生まないために、私が近づかなければ良いのだ。

 

正直、手術のこともあるし、退職も考えている。

自分の大切な体のことを、とってもプライベートなことを知られたくない。相談したくないと思う自分がいる。

でも、手術の日も決まったし、相談するならそろそろしないといけない。奴に弱みを掴まれたくない。でも、できれば仕事も続けたい。

 

仕事内容は次第に興味を持てるようになってきておもしろいし、自分なりに勉強もしている。やりがいも感じている。少しは役立てている感もあって楽しい。

 

ただ、「私」という人間をこてんぱんにやりこめようとしてくる上司がいると思うと辛い。なんだか「性根をたたき直さねば!」という妙な使命感すら、上司から感じる。

 

ストレスを感じた夜には暴食が止まらないこともわかっている。

身体にも心にも悪いなぁともわかっている。ちゃあんとわかっている。

 

社会に出る者として、人間関係にストレスを感じることは起きるものだ。それはそう。

だけど、この、今、私が感じているストレスは適正なものなのか、と考える。

「我慢が足りない」部類なのかどうか考えていた。自分が大人になれないからいけないのかとか。

 

まただ、また『世間一般』の尺度で考えて自分を苦しめようとしていることに気づいた。

 

私は気が強い、きつい、言いたいことを言う、と他人からは思われているだろう。

だからといって、傷ついていないわけではない。

自分が思っていることを発言できるからといって、傷つかないわけではないし、他人の言葉を気にしないわけでもない。

 

書いていて気付いた。

私の中にも、上司をやり込めてやりたい気持ちがあるのではないか。

むしろ私のなかにこそその思いがあるのかもしれない。

それに気づいた上司が先手を打っているのか…?わからない。

 

また、アドラー心理学の「課題の分離」。

他者は変えられない。変えられるのは自分ということも思い出す。

 

最近は、おかしの暴食は減ってきた。暴食した自分を「食べたかったんだよね」と認めてあげられるようになってきたのと、自炊を再開してから(めちゃくちゃ自分を励ましながら)、食欲コントロールできるようになってきた気がする。

再就職してから5㎏太ったけど、お腹ぽよぽよだけど、私の中の陽キャが「よっ!それもいいぞ!」といってくれるので良し。自分を責めない。大事。

 

でも、…どうしたものかと悩む日々。