2年間無職で過ごせること、それは才能なのかもしれない。
母は看護師だった。
定年退職してしばらく家で過ごしていたが、1カ月ほどの後「頭おかしくなるぅっ!」といって別の場所で仕事を再開した。
その頃の私は「そんなものなんか、せっかく働かんでもいいのに…」としか思わなかった。たまに母に「仕事どう?」と聞くと「大変!しんどい!」っていうから「もう働かなくてよくない?」って言うと、「そっちの方がしんどい!」って言ってた。母に無職の才能はなかった。
2019年に退職してもう2年半ほどになる。
最初の頃は母のように「有り余る時間に何をしてよいかわからない」状態で困ったこともあったが、でもだいたいは気力と体力の回復に努めていたので、暇なときは考えることなく寝ていた。
運よく(?)同棲がスタートし、自分以外の人間の世話?も始まったので程よく時間は潰れ、充実した日々だった。
半年もたたないうちに同棲は終わり、地獄はそこからはじまった。
40年近く生きてきて、溜めに溜め込んだ汚物を煮込んだどろどろの悪意をすべて自分にぶつけ始めた。他人様には絶対に言わないようなことを自分に言う。傷つく。の無限ループ。これは一気に老けた。
無職になった後、仲のよかった友達が気にかけてよく連絡をくれるようになった(それまでは半年~1年に1回程度)。向こうは旦那さんも子供もいて仕事もあって自分の人生で忙しいはずなのにと思うと、ありがたくて涙が出た。「まだ死んだらあかん!」と思えた。「死」について前向きに考えた結果、「死ぬまで生きよう」という答えにいきついた。自分から死を選択しない。私のせいで家族や友人が自分を責めるようなことはしない。
「死ぬまで生きる」いいじゃないの!
それなら死ぬまで楽しまないと損やな!
「何かをはじめなきゃ!はじめたい!」と思って編み物を始めたらハマった。没頭した。たわし・コースター・靴下・手袋・ヘアバンド・ショール・ブランケット・バッグ…これでもか!と編んだ。楽しかったし、「この年でも新しいことを始められるんだ!」と自信がついた。この世には、私が知らないおもろい世界がまだたくさんあるのかと思うとわくわくした。それはもう悟空ばりに。
それから、味噌を仕込んでみたり、ぬか床を始めたり、狂ったようにパウンドケーキを焼いたり、パンを焼いてみたり、筋トレも始めた。全部楽しめたし、毎日が充実した。
無職というのは「職に就いていない」というだけ。
恥ずべきことではないし、誰かにそれを責められるようなものでもないんだなと今ではそう思える。堂々の無職で良い。
むしろ自分のやりたいことが自然と湧き上がってきて充実してしまうようにできているのではないか、とも思う(お金や健康に心配がある場合は違うかもしれないが)。
誰かに「無職期間何してたんですか?」と聞かれたら「何しても楽しくてめちゃくちゃ充実してましたよ!」と最高の笑顔で答える自分が見える。