もう「結婚」という概念を頭から取り去ったほうが幸せになれる気がする。
パートナーができた時に、結婚したいと思ってしまった自分がいた。
それで、ド直球で「あなたとは結婚してる未来が想像できない」と言われて、お別れした。顔ぐちゃぐちゃにして泣いたし、ショックすぎてしばらく老けた。
相手にとって私が「結婚するに値しない女性」だったということはわかった。
具体的にどこがどうなんて教えてくれないし、自分で気づくしかない(お前のここが嫌だったって教えてくれる人って優しいよね…)。
私は家族がほしかった。彼との子どもがほしかったから、結婚したかった。
あれからさらに年齢を重ねて、子どもをもてる可能性がそもそも少ないだろうし、そんな私が「結婚」にこだわる意味はあるのかについて考えてみる。
結婚で得られるもの
①社会的信用
どこにいっても「結婚している」という事実は他者にある種の安心感を与える。
だれかが「結婚したい」と思うような魅力的人物だと。
結婚していなくても魅力的な人はいるし、結婚してても「はぁ?」みたいな人はいる。私が言わなくてもそんなことみんなわかっているのに、「結婚している」というひとことで少しほっとしてますよね?
私がほしいのはこれじゃない。
②両親の安心
遠く離れたところで婚期を逃した娘が一人暮らしているとなると、両親もさぞかし心配だろうなぁと思う。老齢の両親を安心させたい。結婚までいかなくても、パートナーがいるよ、とか会社のみんなに仲よくしてもらってるよとか、友達と楽しくしてるよとかそういうものでもいいのかもしれないが。いずれにせよ、両親を安心させたい。
③精神的安心
お互いが辛い時に支えあい、信頼しあっている人間がこの世に存在する、そしてその関係性は法的効力をもつという安心感。行きたいところに2人で行けて分かち合える喜びや幸せ。信頼・尊敬しあえる人と生きていけるなら結婚という制度をとらなくてもよいかなぁ。結婚することで甘えが出てしまう(たまにならお互い様だろうけど)ならお互いのためにならないし。
④家族・子どもを作れる
子どもほしかったなぁ。
男性にとって「結婚」=「子どもをもつこと」だったら、私はもう99%無理だなぁ、悲しいけど。これは受け止めないと。
でも、「結婚」=「信頼・尊敬しあえるパートナーと人生の山も谷も平たんな道も進んでいきたい」っていうことであれば、人間的魅力がありさえすれば、年をとってもまだチャンスはありそうだなぁ。可能性が0ではないというだけで極めて低いということは確かなんだが。
結論は、
結婚しなくても良いから、パートナー(仲間)を見つけよう!ということだ。
そうなってくると、性別関係ないよな。
生活を共にしてお互いの生存を見守る仲間、そういうのも楽しそうで良い。
ほら、阿佐ヶ谷姉妹みたいな感じで。