さてとのブログ

指差し確認しながら毎日を過ごすアラフォー。2年半の無職を経て、未経験業種に再就職を果たす。ほかほかの新入社員。

食べ物の好き嫌いについて考える

TOP4(ゲーム実況をしている有名な方々)の雑談配信を久々に聞いていた。2年前の配信である。

ガッチさんの娘さんが野菜を食べなくて困っている、と。これはどちらの家庭でも起きうることで、親によっては悩んじゃうんだろうなぁと思った。

 

自分のことを振り返ってみると、やっぱり「味の濃い」や「触感が特殊」な野菜は嫌いだった。なす、ピーマン、トマト…ここら辺が王道だけどダメだった。しかし、なすは漬物になると進んで食べられたし、トマトはオムライスやピザやトマトソースが好きだったし、「生」は無理だけど、調理次第で食べられた。

だが、ピーマン、貴様はダメだ。どこにいっても主張してくるそのスタンス、そういうところが大嫌いだった。

 

そんな自分がどうやって食べられるようになったのか思い出してみると、大きく2つの理由かなと思う。

1.挑戦し続けること

2.納得すること

 

【1.挑戦し続けること】

私は元来負けず嫌いだ。食べられないものがあるということは「負け」だと思っていた。だから、「勝ちたいんや!」とばかりに何度打ちのめされても立ち上がり、挑戦し続けた。野菜をたべることについて書いている。小さな世界の、それでも大きな戦いの話だ。

「今日はもしかしたら食べられるようになっているかもしれない!」と体力・気力ともに十分、かつ食事に対戦相手が出てきた時にはチャレンジしていた。口にした限り、吐き出すわけにはいかない、と涙目になりながら早々に飲み込む。水。

「まずい」と感じたら負け判定だった。なんでこんなにストイックだったのかはよくわからないが、これをやり続けて、小学校高学年頃には上記の3選手との対戦に勝った。

以降、無敗である。

 

【2.納得すること】

今でも思い出すけど、小学生の頃、「嫌いな野菜」の話題でよく盛り上がった。もちろん「嫌いな野菜のない人」は友達間で尊敬の目で見られる。

友達とその話題で盛り上がっていた時、「どうして野菜を食べられるの?」と聞くと、「お母さんに、薬だと思って食べなさい!って言われるから薬だと思って食べてる」と言われ子供ながらに大納得した。

私の母は「食べなさいよ!」とはいうものの「嫌!まずい!」って拒否すると「んもう!」って言って終わるタイプだった。強制しないタイプ。

 

「体にいいから食べなさい」っていうのは何回も言われたし、「できたらそうしたいんですけど、ご期待に沿えず残念です。」ぐらいにしか思ってなかった。

「薬だと思って食べなさい」って言われたら「体の調子を良くするために必要なものだから食べなきゃ」と思って納得した。強制してもらいたかったのかな…子どものタイプによって納得できるかどうかは違ってくると思うので、どんな言葉や態度がその子に合っているかは試行回数を増やすしかない。

 

この1と2がうまく嚙み合って、野菜を美味しいと味わいながら食事をすることができるというありがたい体になった。

 

今、あの頃を思い出すと、子供が苦手なことに取り組もうとしている時には大いに応援してほしいし、たとえダメだったとしてもその過程を評価してほしかったんだろうなと思う。また、「こどもが納得する」まで根気よく説明してほしいと思う。理解・納得がすぐにできるとは限らない。大人でもそうではないか?何度も頭に浮かんで、咀嚼してようやく納得したり、理解できるものだから。

 

嫌いな食べ物が減って好きな食べ物が増えると、生きていくうえでの選択肢も増えるだろうし、喜びも増えるかもしれない、それくらいの期待感で克服していけたら良いと個人的には思う。